死を想う

先日、中学時代の同級生が亡くなりました。
 中学時代に同じ部活で汗を流し、卒業後音信不通になっていましたが、今年になってフェイスブック(インターネット上の交流サイト)でつながり、秋に帰省する際に地元の友人たちで皆で会おうと言っていたところだったので、大変驚きました。
 近しい友人に聞いたところ、病気だったそうで、ちょうど40歳になる今年、身体のことを考えないといけない年に自分たちもなったのだなぁとしみじみ感じています。
 そして、子どもを残していかなければならなかった彼のことを想うと、なんともいたたまれない気持ちになりました。
 女房と、子どもらが大きくなるまではお互い元気にいようねと再確認。
 気はまだまだ若いですが、最近軽くぎっくり腰になって以来、腰の調子が悪く、よくなったりまた悪くしたりでよくありません。
 腰回りの筋力が落ちているせいだと思うので、地道なストレッチと筋肉トレーニングが必要です。
 独立して初めて今年健康診断を受けますが、さてどんな結果が出ますやら。
 日々の食事の内容も少し気を使わなければと思うのです。
 そして、ありきたりですが、死を想うと、今現在の限られた生を想います。

ラテン語の「メメント・モリ(mementomori)」は「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味だそうですが、日本では葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」があります。

 死を想うことで、生を生きる、久々にそんな心境です。
 先日のバングラディシュのテロ事件で亡くなった方々は、大学の後輩の仕事仲間の人たちでした。
 もしかしたら、後輩自身がその場にいたかもしれません。
 自分自身が、そして身近な人が突然死を迎えることが当たり前のようにあるんだと思う中、いまあることをありがたく思いながら、目の前の日常を大切に生きていきたいなと思う朝なのです。
コメントは利用できません。

全国発送を承っています

店主の勝手にセレクトセット