【立待岬】 タイの農家のおっちゃんの「言葉」

(先日6/1の北海道新聞の夕刊みなみ風の「立待岬」に掲載されたコラムをご紹介します。次回のコラム掲載は、7/13の予定です。12人の執筆者によるリレーコラムなので、1か月半に1回の登場になります。道新をお読みの方はぜひ本誌の方もどうぞ。顔写真とプロフフィールが載っています。)

自己紹介がてら少し昔のお話を。高校時代に1993年の米の大凶作を経験。「人間が生きるには食べ物が重要だ。生きる糧を生み出す農業を勉強しよう。」と農学部に入学。学部の1年ちょっとの研究生活では研究者の道がいいのか、実業の世界がよいのかよくわからず修士課程へ。すると、タイの農村部で研究できるという話が。

タイ語もよくわからないまま、先輩と一路タイへ。研究を手伝ってくれる近所の気のいい農家のおっちゃんたちと毎夜のごとく村で酒盛りすること数か月。3歳児レベルに達した拙いタイ語で、農家のおっちゃんに農業談義をしかけました。

「(米の収量を上げるには)水牛のふんを堆肥にしたり、川の水を引く用水路を作ればいい」と私。おっちゃんは「それをすれば確かに今より米は取れるだろう。しかし、そのために今より仕事をする時間を増やすくらいなら、わしらは今のまま、夕方仲間でわいわい楽しむ方がいい」。

衝撃でした。この人たちは豊かだと。金銭的には日本の方が豊かですが、人生の中で何を大切にするかを何よりよく分かっていると。

若造は考えました。農家の小学生の息子さんが、「俺の父ちゃん、農家なんやでぇ。」と言ったら、「すっげぇ。お前の父ちゃん、何作ってるの!」と友達が返すような日本をつくってみたいと。で、気付けば八百屋をやっているわけです。

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