なぜ料理をする(できる)ようになったのか。

今では朝晩の家の料理をほとんど作る店主。元々料理をしたかというと、
全然でした。4人姉弟の3番目。上二人が双子の姉だったこともあり、母親
不在の時も姉が料理するのを待つ始末。大学も実家から通っていたので、自
炊の必要性もなく、炒め物くらいは作れるかな、ってなレベルのまま大学を
卒業しました。料理の経験は学校での家庭科の授業がメインだったかもしれ
ません。

24で社会人になって、東京で独り暮らし。で、自炊を頑張ったかという
と、正直あまり記憶がありません。仕事が忙しかったので、外食や中食(お
惣菜)で済ますことが多かったと思います。そんな私が料理に目覚めたのが
、社会人1年目の8月、隅田川の花火大会の日。東京で最初に暮らしたアパ
ートが隅田川から1キロほどの距離にあり、屋上から隅田川の花火大会が見え
る好立地。友人を誘って花火を愛でようと計画し、せっかく来てもらうので
料理でも振舞おうと、料理本片手に当時の彼女(今女房)と一緒に作ったの
が本格的な料理始めでした。ちぢみ(韓国風お好み焼き)や出汁巻を含め、
5-6品を作った気が。この時来てくれた友人たちが「おいしいなぁ」ってほ
めてくれたのが料理っていいかもと思うきっかけです。きっと花火という最
高のつまみがある中で、「楽しいな」が「おいしいな」に変化したんやと思
いますが、それでも料理を含め、もてなす楽しさに目覚めたのでした。その
後2回、夏の隅田川の花火大会でのおもてなしは続き、回を重ねるごとに料
理も手が込んできて、楽しくなってきました。

さらに、次に住んだアパートは6畳2間。奥の部屋が寝室にし、真ん中の部
屋を「居酒屋スペース」として、毎月のように友人・知人を呼んで、ホームパ
ーティ(飲み会)を催しました。飼い猫・有紀之介の名前をとって、「居酒屋
ゆきのすけ」の月1開店。会費2000円。10人も集まれば軍資金2万円。
20代の若造には大きいものです。築地市場で新鮮な魚介類を仕入れて手巻き
寿司パーティしたり、きりたんぽを手に入れた時はちゃんと鶏ガラから出汁を
とったり。ハイキングを企画し、早朝からおにぎり20個にぎったり。果ては、
結婚披露宴を「居酒屋ゆきのすけ@鎌倉」(鶴岡八幡宮で挙式)と称して、執り
行ったり。
(「居酒屋ゆきのすけ」と検索いただくと当時の様子がブログでつづられています)

というわけで、友人の「おいしいね」の一言に乗せられ、料理を食べてもら
う楽しみに目覚め、今日に至ります。やっぱり褒められる体験って人生を左右
するものです。

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