【344】”考える”と”思う”

週刊すず辰344号より抜粋】

先週、子どもに教え過ぎず、体験させて自分で考えさせるのが大事、と言ったことを書きましたが。そこでふと思ったのが、前に女房が書いていた、“考える”と“思う”の違いについてです。

学生の指導をしていて、「こう思いました」との言葉に、「思ったでなく、どう考えたかのプロセスを言って!」と研究者・指導者として苦悩するわけですが。では両者の違いは?、ってことで、女房の孫引きをそのまま引用。

“つまり、「思う」とは、一つのイメージが心の中にできあがっていて、その一つが変わらずあること。胸の中に二つあるいは三つを比較して、これかあれか、こうしてああしてと選択し構成するのが「考える」。“(大野晋著 『日本語練習帳』より)

 

なんかの出来事があって、こう思った、が感想で、それに対し、どうあったらよかったか、そのために何が今後できるかをあれこれ頭を動かすのが“考える”。

先の運動会の例(ひとつ前のブログ)でいうと、練習中に勝った負けたと一喜一憂するのが“思う”。

そこから一歩進めて、どうやったら勝てるのか、もっと速くなるのか“考える”。

紅白リレーで、長男が「一年生の女子がいつもおそいから」と言っていたので、「じゃあ、走り方教えてあげればいいじゃん」と父。

騎馬戦でさっさと帽子を取られた娘。「騎馬の子らと意思疎通ができてなかった。相談の時間を事前に取ればよかった」と。娘の方が少し考えられてますね。まぁその後、「先生が相談の時間を取ってくれなかった」とのぼやきが出たのですが、そこは練習後とかに自分らで勝手に相談すればよかったじゃん、と父は思いましたが(笑)。

 

経験して、思って、その上でどうしようと考えて、場合によってはどうすればできるか、人・物・場所をどう組み合わせれば可能になるか試行錯誤。その時間をどうとってやるかが大事なのかもなとも思いました。

そこには、人に想いを伝えたり、相手の考えを聞いたり、そしてすり合わせて、どうするか、いろんな思考と行動が入り混じりますね。

“思う”はスタートで、その上でどう“考える”のか。いろんな喜怒哀楽をパワーにして、いっぱい葛藤してくれたらうれしいなと子どもらを見つつ思う父なのでした。

 

先週の「子どもの見守り・成長」をテーマにしたやつが一部のお客さんに好評でしたので、調子に乗ってもう2つ。ちょっと対象年齢は上かもです。

「アナと雪の女王」を見て

世の物語の大半が、上のように、端からみたら「こうしたら…」ってことがあったりするかもです。ドラえもんの映画なんて最たるもの。小学生になった子ともらは「あの道具があるじゃん!」って最近は突っ込んで観ています。

ただそこであっさり解決しないからこそ、大冒険が起り、のび太たちは目に見えない大きな何かを得て大団円(だいだんえん)を迎えるわけです。

その点で行くと、我が母は見事に「見守りの人」でした。中学時代なんかもあとから、「あのときいろいろあったんでしょ」とさらっと言われたり。母よ強し、です。

 

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自分で体験し感じたことって、腹に落ちますし、その後の人生の支えになるなぁ、とつくづく思ったできごとでした。私の場合、キーワードは“ひげそり”です!

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